ETC

夢Ⅲ

①デジタルシステムを構築しなくてはならない。

現在の商流デジタルシステムは、明治維新以前の分散統治に近いと思えばほぼ該当する。個々は自社システムを構築し、他との共有は全くない。

小売店は、自店のホームぺーで販売は出来るが、全ての商品が自店で用意している。お客様のオーダーが有れば取り寄せるか、自店の在庫商品を販売している。問屋への商品発注はFAXが多用され、稀にEDIシステムを使用が現状だ。いずれの場合もお客様のオーダー商品情報は店で止まっている。このような姿だが、ホームページで販売してるのでデジタル導入済とはならないのが令和時代なのだ。

各セクションで商品情報を共有するのが「デジタル社会」なのだ。小売店だけでは、デジタル導入とは言わない。

問屋も同じようなシステムなのだ。「今度このようなキャンペーンをしています」と鞄からチラシを出してきた。「注文はチラシの中に記入してFAXを送っといてください。今ここで個数を聞いたら発注しときます。」と言いながらそろりとタブレットを出した、、???。(タブレットよりポケベルで十分じゃないか、、と言いたくなるようなシーンだ。まるで江戸時代のかわら版的なチラシを出し、昭和時代のFAXで注文、手には平成時代のタブレットを持ってる。よく見たら腰にポケベルは付いていなかったけど、スマホは胸のポケットに見えた。チラシの商品を指でタップしても何の変化も無い。当然だが、、)「うちの店は博物館の展示場かい!」と言いそうな光景(そろばんを持ってなかったからそうは言えない)が日々行われているのが現状だ。当たり前だが商品情報共有は無い。

ここまでのように、3層は個々に動いて連携が無いことは明白だ。(3層=客・店・問屋)メーカー・商社も同様だろうとは推察できる。

このように酒販店を取り巻く環境は、デジタル虫にかじられる「心柱」も極細でかじられ切った後のような姿が見て取れる。と言うか、そもそもデジタル柱が無いのだ。かじられ始めてきた組織販売店から見た場合、「酒や」の存在そのものが無いに等しい姿なのだ。

「心柱」が無いことは、コロナ革命には好都合だ。生半可な商流と物流に縛られ、動きが取れずかじられて行く現在の組織販売店のようなことも無く、全く新しい「心柱」を構築できるからだ。当然デジタルを主体にした「心柱」を構築し、かじるほうに回るのだ。